セイコー対シチズン

万国博の開催が発表されると シチズンは 
すぐに全国13ヶ所にカウントクロックを
施設参加の形で提供すると申し出た。

開幕後も閉幕までの カウントダウンを刻み
その予算は 一億五千万円といわれた。

そしてタイムセンターの寄付も申し出た。

 公式時計は ほとんどシチズンに
決定したようなものだった。

開幕まで後1000日の
昭和42年6月19日には
全国三ヶ所 東京小田急百貨店 
大阪の近鉄百貨店 
名古屋の名鉄百貨店で
大時計がカウントダウンを始めた。

ここで セイコーが巻き返しにでる。

 それは ルビジウム原子時計を
内蔵した画期的な
機構のタイムセンターだった。

その精度は 3200年に1秒しか
狂わないという物だった。

親時計から秒信号を子時計に送り
集中管理をするシステムだった。

しかもセイコーは協会の
本部ビル移転祝いとしたのだ。
時に昭和44年6月9日。

 これで公式時計はセイコーに決定した。

 これは 全世界の時計メーカーが
研究していたものだったのだ。

そして この万国博が実用化
第一弾となったのた゛。

原子時計は固有の周波数利用し
1949年アメリカで
アンモニア分子で成功した。

大阪万博では それまで主流の
セシウムからルビジウムが実用化された。

高さ20mの3本の柱に支えられた
カプセルに内臓されたユニットは500m
離れたエキスポタワーの送信所へまず
有線で信号を送る。

つぎに送信機が UHF電波を発信。

会場内各地でこの電波を
サテライトクロックが受信。

これで全ての時計が
瞬時にコントロールできる。

これを セイコーAUTシステム 
原子標準無線時計管理システムと呼称した。

指針式の直径は 1.33mで12時の
下にあるランプが秒信号を受けて 
点滅していた。
しかも 太陽電池で動く物さえあったのだ。

夜空に浮かぶ青い文字盤はとてもかっこよく
イメージを利用した腕時計も大人気となった。
私も中学の入学祝いに買ってもらいました。

なおフ゜レスセンター三階には
セイコーの世界時計が設置された。

文字盤の周りにある24のボタンで世界時間
がデジタルで表示された。

時計で有名なスイスはエキスポランドに
高さ3m10cmの日時計を寄贈した。

写真はチューラー社副社長。
閉会後は東京に移設されたらしい。

情報をお持ちの方はお知らせください。

 コーク対ペプシ

 エキスポランドの建設は 
全くの予算不足だった。
総工費の約21億円の7割は
施設参加に頼るという内容だった。

従って 当初 7コースだった
ダイダラザウルスは 5コースに変更され
スポンサーが決まらぬまま先行発注になった。

ここで 協会はダイダラザウルスのスポンサーに
コカ・コーラへ打診をした。
  
これには 同じエキスポランドのペプシ館が
文書で抗議をした。
 
実現すると ペプシ館の上を
コカ・コーラが走るのだから。

結局ダイダラザウルスは 
鉄連から五億五千万円
日建連から三億円の施設参加
により賄う事ができた。

エキスポランド全体の予算が
二十一億四千万円だった
のだから いかに協会が力を
入れていたのかがわかる。  



 
大人の魅力の
シチズン
外国用パンフから
建設中の親時計
インフォメーションセンターへ
施設参加の熱い戦い
千里への道
高校コース
公式記録
万国博会報を
参考にいたしました。
公式時計のcm
オールラインナップ
世界時計
東京
大阪近鉄
少し遅れた
大阪阪急
日時計

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